アンの日記 IKIGAI la raison d’etre 生き甲斐 たまたまフランスで見た絵の中にこのワードがあって、なんか哲学的!とか思っちゃっただけです。

生きることはlost&foundの連続!? やった、人生折り返し点過ぎたし!今話題のアラ50クライシス!?なんてなんのその、のんびり生きてるシングル・時々リモート介護のわたくしの私的ダイアリー&奮闘記です。やっほ~~(^^)/

避難所で過ごして来ました。備忘録。

まず初めに、今回の台風災害で甚大な被害に遭われた方々が、1日も早くいつもの生活に戻れる事を願っております。


もっと写真やイラスト入れて、ブログらしくしたかったのだけれど、ほぼ余裕が無かった為、素書きのまま、アップします。失礼。


あくまで備忘録です。


実際にはかける言葉もみつかりませんが、ごめんなさい。

本当に今回は凄かったですね、としか表現できないわたしの貧しい語彙力。

実際にはわたしは雪以外の自然災害には全く不慣れでして、今回は、本当に戸惑いました。

それにしてもいつの間にか日本は、地震のみならず、台風災害に常に常に身構えていなくてはいけない国になっていたのですね。

いや、沖縄や長崎方面の方に言わせると、このくらいの台風は、いつものこと、との事なのですが。

わたしの中では全くもって、ほぼ人生初じめての台風災害に当たるものですから、まず避難所へ避難、という行動から取ることにしました。

すでに大雨と風、外には誰一人見当たらない中、700メートル近くある避難所へと出かけて行きました。

誰一人見当たらない、と書きましたが、1人、2人、いました。いずれも、様子を見にドアを開けて外に出てきたお年寄りとか、でしたが、なんと、由々しき事に新聞配達の男性がバイクで駆け回っておりました。

男性ははなっから防水用ジャケットなど着用しておらず、ノーヘル(本当はだめなのでしょうね)ノーレインコート、土砂降りの嵐の中、Tシャツと短パンだけでした。

実際に台風が迫って来ているせいで、気温はかなり湿り気を帯びた、高温ではありましたが。

しかし、こんな天気の中、新聞を配達させる新聞社って、どこ社でしょう!?

A社でしょうかね?M社でしょうか、Y社でしょうか?それ全部でしょうか?

こんな深刻な自然災害時に若者を働かせる、人を人とも扱わない新聞という媒体が廃れて行く、オワコンになる理由が明白なのが、わかる気がします。

それとも、新聞は社会的役割が大きい、主要なメディア様だから、いかなる事があろうと、配達を休む訳にはゆかない!とでも言うのでしょうか!?

 

そうそう、避難所です。

なんとかアプリを頼りに2,30分かかって、レインコート来ていても、ずぶ濡れになりながら到着!

既に20人くらいの人たちがおりました。

赤ちゃんを連れた若い夫婦、小中学生を連れた大所帯、1人暮らしなのでしょう、60歳代や70歳代くらいの男性1人、女性1人、など、形態は様々。

 

住所、名前、年齢などを書く受付を済ませて、大部屋に入って行きます。

1人1枚のマット、これは1畳分くらいでしょう、の割り当てを貰えます。

このマットってのが、正直心地良かった!

もちろん使い古された物であったけど、低反発で、かなり寝心地よかったのですけど!

畳1畳分あるので、小さな体のわたしはゆうゆうと寝るスペースが充分にあって、正直、自分の敷布団よりも、低反発な分、ハイテクな感じがして、かなり気に入りました。

それほど大挙して避難所に押し掛ける人はいなかったせいか、かなりゆったり目のスペース配分でした。

雰囲気的にも地震で家が崩壊した、とかではなかったので、悲壮感も特に漂わず、みんなおとなしく、たんたんと過ごしておりました。

受付の時に係の方に、子供や赤ちゃん大丈夫ですか?と尋ねられたのだけど、むしろ、そんな質問されたことに対して、不思議に思った。

つまり、”こども、うるさい、”ていう輩がいるということですよね。

むしろ、小さい子供がきゃあきゃあ走り回っていたり、赤ちゃんが泣いていても、実際に被災した現場ではないので、人々の苛々感もなかったしで、むしろ、可愛い赤ちゃんに癒されるという感じがしました。

そういうわたしは、別に子供好きではありませんけどね。

多少成長してくると、周りの大人の影響で、全然可愛くない、ひねた子供というのは存在しますが、赤ちゃんの頃から邪悪、という事は絶対にありませんからね。

避難所に避難したのは、住んでいるお家がですね、木造で古くて雨戸もないので、地球史上最大台風、とか言われると、怖くなってしまって。

お家にいようかどうしようか、かなり迷ったのですが、ガラスが割れでもしたら、きっと、そうとう悲惨だろうなあ~~と思ったので、思い切って非難しました。

一緒に住んでいる人たちは、実家に帰ったり、親戚のお家に行ったり、残ったり、と様々でした。

避難所は、作りのしっかりした鉄筋の近代的な建物だったので、それほど風雨の音も大きくは聞こえず、大したことはなかったかのような印象だったのですが、きっと自分のお部屋にいたなら、こうはいかなかったでしょう。

とても怖い思いをしたと思います。

装備不足の為にとても寒い思いをし、避難所に来るなら、それなりの準備が足りなかったな~~という痛恨の思いはありました。

着ていた衣服が濡れ、替えを持って来なかった為に、なかなか乾かず、段々と低体温になってゆきました。

結局は大丈夫でしたが、からだを濡らすのは、例え気温は高めであっても、かなり危険なのだな、ということを改めて痛感しました。

濡れた服を脱いで乾かし、全然暖かくないウインドブレーカーだけを着て、しのぎましたが、たまたまそれで、なんとかなりました。

1枚割り当てられたマットが古くてもとても上質で、横たわっているだけで、身体に当たる部分は暖まってくるのです。

1枚のマットに助けられました。

わたしより後に来た若い女性は、もうマットがないのか、ぴら~っとしたヨガ用薄マットしか貰えてなかったので、少しでも早く到着して良かったと思いました。

 

というか。。。。結局家に残った人が、一番良かったのですけどね。。。。(*_*)

 

23時前には雨はすっかり止んでしまったので、わたしはお礼を言ってさっさと出て来てしまったのですけど、お家が心配だったので。

お家に帰ったら、窓ガラスも裏の木々も全て無事で本当にほっとしました。

それにしても、お役所関係の人たち、少人数で大変そうだったから、何も手伝ってこなくて、後で悪かったな~~と思いました。

その時は、お家、お部屋が心配だったもので、手伝おうとかまで、考えが及びませんでした。ごめんなさい。🙇

もしこの次があるならば、何か少しお手伝いいたします。

 

家に残っていたら、風邪ひきそうな思いもせず、ずぶ濡れになって歩くこともせず一番良かったのですが。。。。本当に本気で、この家吹き飛ぶんじゃないか、と心配だったのですよ。。。。(;^ω^)

そんな3匹の子豚が棲むような家で暮らしているわたくし、でした。

かなりマスコミたちは、煽った感がありましたが、かえって、良かったのではないか、と思っております。

それにしても、こんなに自然災害ばかりの国、いやだな。 

それじゃなくても、住みづらい国になるばかりだというのに。

自然災害のない国に住みたいよ~~~ (;_;)

な・ん・と・か・し・た・い。


初めて避難所で過ごした事を電子的記録として留めておきたかったのでした。


皆さまも準備、ご用心を。


それではまた。。


追伸: 台東区ではホームレスを受け入れ拒否!?なんと情けない、恥ずかしい事を。区政、オワタ。。。