アンの日記 IKIGAI la raison d’etre 生き甲斐 たまたまフランスで見た絵の中にこのワードがあって、なんか哲学的!とか思っちゃっただけです。

生きることはlost&foundの連続!? やった、人生折り返し点過ぎたし!今話題のアラ50クライシス!?なんてなんのその、のんびり生きてるシングル・時々リモート介護のわたくしの私的ダイアリー&奮闘記です。やっほ~~(^^)/

出発準備 --- 明日に飛び立つために

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JR線路脇にて sept 25th sun.

 

この季節の風物詩は、曼殊沙華。あまり好きではなののですが、みごとな黒揚羽さんが蜜を吸っていたので珍しくって撮りました。

ここは意外にイナカなのだな、、、と少しホッとする。

そしてそして牛小屋の牛さんたち。

狂牛病対策なのか、そばまで近寄ることはできなかったです。

牛たちは、”こいつ何者?”って顔して私を眺めていた。。。。( *´艸`)

 

今日は近くのアウトドア用品店でバックパックとトレッキングシューズを購入。結構な支出になったけれど、もう何か月も何か月も買わなきゃと思いつつ見送ってきたものだったので、案外早くぱぱっと決めてクレジットカードで支払った。

思ったのは、店員さんがなかなか来てくれなくて困惑した。

レジのところには何人かいるのだが、研修中の名札を付けた若い女の子が目立った。

買い物客をヘルプしてくれそうな人はなかなかみつからず、いたとしても何かの作業中でとても声をかけずらい。

一体何なんだっ!!

 

昨今は飲食でも何でもどこも人手不足なんだろうな~と思った。

結局は男の店員さんを一人捉まえて、あれこれアドバイスをもらってリュックを購入したのだけれど、日曜日だというのに店全体の雰囲気がとても暗いというか、沈んでいるというか。。。。

 

不景気。少子高齢化。買い物はネットで済ませるなどで、お店としの売り上げは良くないんだろうな~と感じた。

日本沈滞ムードは何処へいっても感じてしまう。

日本暗い。あまり楽しくなる材料はない。こんなこと言っているのはわたしだけか?

 

10月は旅に出ることにしました。

10月、わたしにとって一番好きな季節。ちょっとさみしさ感じてしまうけれど、さみしさと懐かしさが入り混じったような、不可思議なメランコリーさが漂う季節だ。

ちょっと気を抜いていると、いつの間にか過去にタイムスリップしてしまいそうだ。

 

あまりたいしたこと書いてないけど、昨日下書きした日記、これで終わりにします。それではまた。

 

今は泣いているれど、やっぱり笑う方を選ぶ。

 

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London 2015 winter

 

お昼前に隣家の犬散歩に出かけようとして着替えて外にでたら、また雨。

一体この地域はどうなっているの?*1

この季節にこれだけ雨が降るなんて、かなり異常事態な気がします。てか、太陽のない毎日はしんどいです。。。。

神様どうか、わたしたちに太陽をお恵みください。

 

というわけで、昨日は書けないで眠ってしまったから日記書きます。

昨夜から坂爪圭吾さんの過去記事をずっと読んでいた。

私の内側で言語化されずにずっと沈殿されていた考えや行動が溢れまくっていた。

しかししかし、彼の言っていることは私以上、大以上。

とても年若い彼が堂々と、広く世間に発信しているのを見て、それは私の内側にはなかった。

今の私は世間全体にではなく、自分自身へ発信するだけで精一杯かな。

そのうちもしかしたら、もっと発信したい!に変わってくるのかもしれないけど。ううん、本当は発信したいけど、恐れている。

 

最近の私を心配した友達が昨夜、丁寧なメッセージをくれました。

その中で、”何の根拠がなくても「希望」を持っていたい”っていう一言。

 

今、目の前には鬱蒼とした暗がりの道と、うっすらと、本当にうっすらとだけれど、光の射す道が見えるような気がします。

光の射す道へ少しずつだけれど歩いてゆくことにした。

私はすぐに笑顔を作るのは下手だけれど、やっぱり笑う方を選ぶことにする。

丁寧に書いてくれた友達、A子ちゃんに感謝だ。(*^-^*)

 

なんとかここで本当の自分を取り戻さなくっちゃ。

わたしの行動の基本はずっと”恐怖”だったと思う。

けれどこれからはその”恐怖”を払拭する生き方をしないと、私はいつまでも”死んだまま”生きてゆくことになってしまう。

私は歳をとっているし、これから希望に溢れた人生が待っているわけではないのかもしれないけれど、でもやっぱり、最後の何年か何日であったとしても、”自分は生きた”と思って死にたい。

 

私には死んだまま生きている余裕など、本当はない。

日々起こる小さな出会いや感動に正直に反応する。

自分を殺して生きることに慣れ切ってしまっている自分には難しく感じるけれど、今から下手くそでもちゃんと生きていかなくっちゃ。

 わたしが一番恐れていること、それは”生きながらに死ぬこと”です。

 

*1:+_+